研究ユニットについて
研究内容
現代のヒトは、望むと望まざると、何らかの形で社会の中で他者と関わり合いながら生きていかなければなりません。他者との関わりは、私たちの心身の状態を良いものにしたり、時には悪いものにしたりします。つまり私たちのWell-beingは、社会との関わりによってダイナミックに変動していきます。
私たちの研究ユニットは、社会の中に生きる私たちに、Well-beingな状態が生まれたり消えたりするダイナミクス、およびそれと関連した私たちの脳の働きを、ハイパースキャニングと呼ばれる研究手法を中心とした脳機能イメージング研究において検討していきます。
ハイパースキャニングとは?
一般的に、私たち個人の脳の機能は、個人の脳から記録したデータをもとに評価されてきました。たとえば脳の活動量(発火量、脳波の電位、脳血流量の増加量など)や、脳内での情報の流れ(神経発火の相関、脳領域間での情報伝達量など)、または個人の脳の構造(大脳皮質の厚さ・容積、領域間の繊維結合の量)などが、脳機能の指標となってきました。ある実験刺激(画像や音)が与えられた時にこれら指標がどのように変化するか、またはある行動をする際のこれら指標の変化を見ることで、脳の機能を検討してきました。ヒトの社会性の研究も、同様の視点で研究がなされています。
しかし近年、コミュニケーションに関する研究分野では、コミュニケーションにおいて情報伝達の再帰性・双方向性に注目が集まっています。たとえば講演会で、講師が聴衆に口頭で意見を伝えている場合を考えてみましょう。一般的には、講師=話者=情報の出力者、聴衆=情報の入力者という解釈がなされます。しかし実際には、講師は聴衆の微妙な反応を手掛かりにして、話の内容や話し方を変えていきます(原稿を棒読みしているのでなければ!)。すなわち、講師→聴衆という一方的な情報の流れを考えることはできず、講師と聴衆は情報を双方向に伝えあって、情報を介して結びついた一つのシステムを構成しているように見えます。
このような「わたしたち」とでもいうべきシステムを理解する際には、個人の脳活動だけを計測していても仕方がない、コミュニケーションにかかわる者すべての脳活動を同時に記録して解析する必要があるだろう、という考え方が出てきました(Schilbach, 2013)。この二者(もしくはそれ以上の人数)から脳活動を同時に記録・解析する研究手法が、ハイパースキャニング(Hyperscanning)と呼ばれています。
私たちは、この考え方に則り、自然科学研究機構生理学研究所に設置されているハイパースキャニングのできる磁気共鳴現象画像( MRI; Magnetic Resonance Image)装置を利用して、コミュニケーション中の脳活動を記録する研究を続けています。
ハイパースキャニングでわかること
前出のように、一般的に、個人の脳から記録した脳の活動量、脳内での情報の流れ、または個人の脳の構造などを脳機能の指標として、ある機能が脳内でどのように実現されているかが検討されてきました。たとえばある実験課題をおこなったときに領域Aの活動する量が高いことを見つけることで、領域Aがその実験課題に関連すると推論することができます。
これに対してハイパースキャニングでは、情報を介して二人のヒトが一つのシステムとなっている状態を研究の対象としています。私たちは、このような状態を特徴づける脳の活動を評価する際に、個人の脳内における活動量や脳領域の間でのつながりの強さといった指標だけではなく、自分と他者の脳活動の類似性がその指標となりうると考えています(Friston & Frith, 2015)。つまり脳活動が高い・低いだけではなく、脳活動のパタンがコミュニケーション相手のあなたと似ている、ということに意味があると考えています。
このような仮説のもとに我々は、ハイパースキャニングMRIを用いた研究をおこなっていきます。この仮説は相互予測仮説(Hamilton et al., 2020)として知られていますが、その妥当性については、まだ検討がなされている最中です。数学的な手法などを用いた研究により、この仮説の妥当性の検討もおこなっていきます。
社会のWell-beingダイナミクスをハイパースキャニングで明らかにする
Well-beingという語が指し示すものについて、明確な定義は存在しませんが、英国の国民保健サービス(NHS; National Health Service)では、以下のようなステップが重要だとレポートしています。
1:他者とのよい関係性を持つこと。
2:身体的に健康であること。
3:新しいスキルを習得すること。
4:他者と分かち合うこと。
5:今という時間に注意を向けること。
NHSのステップの1と4は、まさに社会に関連しています。私たちも、日常生活において、他者との関わりの中で温かい幸せな気持ちを感じることがあると思います。「私たちには共感というシステムがあるから当然だ」と思われがちですが、その背後にあるメカニズムはわかっているとは言えないのは現状です。また同じような他社との関わりが、他者に対する妬み、相手と比較して自分に失望する感情など、さまざまなネガティブな状況を引き起こすこともあります。
私たちは、ハイパースキャニングMRIを用いた研究で、このような社会の中で起こるまたは失われるWell-beingについて検討していきます。
社会とは独立して個人で得られるWell-beingのメカニズムを明らかにする
前出のように、社会は必ずしも常にわたしたちをWell-beingに導いてくれるものではありません。ですから、自分のWell-beingの源泉を社会のみに依存することは危険であると、私は考えています。
社会が私たちに与える影響に対する耐性、つまりレジリエンスを獲得するためにも、社会から独立して個人でWell-beingにたどり着く方法も重要です。これはNHSの提案するWell-beingのステップでは、3と5に対応します。たとえば私たちが就職面接の場面で緊張によりあがってしまってしどろもどろになってしまったような場合、つまり自分の能力を全部出しきれたという実感が得られない場合、非常にネガティブな心理状態になります。このあがりのメカニズムはまだよくわかっていませんが、それを解明することで自分の持っているものを100%出すことができれば、また100%出し切ったという手ごたえが得られれば、ネガティブな状態に陥ることは少なくなるかもしれません。
私たちは、個人の脳活動に着目した脳機能イメージングを用いて、個人で得られるWell-beingについても研究していきます。